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監督プロフィール


フリーダ・カーロについてドキュメンタリー映画『フリーダ・カーロの遺品|Legacy of FRIDA KAHLO』監督・撮影:小谷忠典|メキシコでフリーダ・カーロの遺品に注目した写真家・石内都の姿に迫る

小谷忠典 (こたに・ただすけ) 1977年大阪出身。

 

絵画を専攻していた芸術大学を卒業後、ビュジュアルアーツ専門学校大阪に入学し、映画製作を学ぶ。『子守唄』(2002)が京都国際学生映画祭にて準グラン プリを受賞。『いいこ。』(2005)が第28回ぴあフィルムフェスティバルにて招待上映。

 

初劇場公開作品『LINE』(2008)から、フィクションやドキュメンタリーの境界にとらわれない、意欲的な作品を製作している。最新作『ドキュメンタリー映画100万回生きたねこ』(2012)では国内での劇場公開だけでなく、第17回釜山国際映画祭でプレミア上映後、第30回トリノ国際映画祭、 第9回ドバイ国際映画祭、第15回ブエノスアイレス国際インディペンデント映画祭、サラヤ国際ドキュメンタリー映画祭、ハンブルグ映画祭等、ヨーロッパを中心とした海外映画祭で多数招待された。

 

過去作品

LINE|小谷忠典監督作品 ドキュメンタリー映画ライン

100万回生きたねこ|小谷忠典監督作品 ドキュメンタリー映画ライン

 

監督コメント

巡り合わせで始まった映画 ――
写真家・石内都のまなざしを通した、一人の人間としてのフリーダ・カーロ
そして「生命力」そのものを描きたい

多くの命が失われた東日本大地震から1年が過ぎようとしていたある日、「がんばろう!日本」という復興支援のスローガンに乗れないまま節電で暗くなった都内で右顧左眄していたぼくは、思い切って写真家の石内都さんに電話をかけました。兼ねてから、“死”をテーマにしながらも生命力に溢れた石内さんの作品に魅力を感じていたぼくは、彼女の創作活動を追ったドキュメンタリーを作りたいと考えていたからです。

電話口で石内さんは「メキシコに、フリーダ・カーロの遺品を撮りに行くけど…」と言った後、「でも2週間後よ」と笑いました。あまりにも突然のお話だったので、その時のぼくは苦笑を返すのが精一杯でした。しかし、「少し考えさせてください」と電話を切った後、学生時代から誰よりも影響を受けてきた作家からの提案を、このまま無駄にはできないという強い想いが沸々と湧き上がってきました。そして2週間後、ぼくはスタッフと共にフリーダ・カーロの生家の門を無事にくぐることができました。方々に連絡を取った結果、幸運にもなんとか渡航費だけは工面できたのです。

熱帯植物が生い茂る生家の庭に、50年間奥まった浴室で眠り続けていた遺品が、石内さんの指示によって次々と引っぱり出されました。「フリーダに呼ばれたのには、理由がある」と言う石内さんは、メキシコの陽光を目一杯浴びた遺品たちとまるで会話を楽しむようにシャッターを切っていきます。その光景を側で記録していたぼくには、長きに渡ってフリーダ・カーロという偉人にこびり着いた苦痛や逸話がしなやかに解体され、もはやフリーダ・カーロという固有名詞ではよびえない“ひとり”の女性に還元されていくように感じられました。

そうした過程を経て、昨年のParis Photo 2013で、写真集『Frida by Ishiuchi』は初公開されました。4日間で動員5万人を超える会場で、石内さんが写し出した新しいフリーダ像は活気に包まれました。閉じ込められていたフリーダが“ひとり”の女性として還元されたことによって、私の、あなたの、われわれのフリーダとして新たに生まれ変わり、世界各国から集まった人々の文化を巻き込みながら未来に向って広がっていきました。そうした途切れることのない“持続”に感動したぼくは、映画を通してそれを可視化できなかと考え、写真集の中でもひときわ異彩を放つメキシコ南部のオアハカ地方に伝わる民族衣装(フリーダの母親がオアハカ地方出身だったこともあり、彼女は終始普段着にしていました)の行方を追いました。

人口の約4割が先住民族という、メキシコの中でも最も先住民人口の比重が高いオアハカで出逢ったのが、民族衣装の刺繍家たちでした。小さなひと針ひと針が描き出す絵柄はとても愛らしく、「夫が死んだ日以外は毎日作業してますよ」と語る彼女らの月日も縫い込まれた色鮮やか民族衣装を手に取ると、繋がっている、守られているという安心感が不思議と湧いてきました。親から子へ、子から孫へと、時代に合わせて形を変えながらも“持続”する民族衣装の存在は、伝統とアートの境界を越えて石内さんのプロセスとも重なり、地球の裏側の日本で暮らすぼくにも「生きなくては」と生命力を与えてくれました。

47歳の若さで亡くなったフリーダは、次の言葉を残してこの世を去りました。「出口が喜びに満ちてるといい。私は戻りたくない」。死を死で終わらせない写真家・石内都のまなざしを通して、フリーダ・カーロのいう出口の更にその先に辿り着ける映画を届けたいと思っています。

小谷忠典

 

スタッフ

【プロデューサー】
大澤 一生(おおさわ かずお)

1975年、東京都出身。日本映画学校(現・日本映画大学)に入学し、ドキュメンタリーの制作を学ぶ。卒業後は数々のインディペンデント・ドキュメンタリー映画の製作に主にプロデューサーとして携わる。主な参加作品に『バックドロップ・クルディスタン』(2007年・野本大監督)、『アヒルの子』(2010年・小野さやか監督)、『LINE』(2010年・小谷忠典監督)、『9月11日』(2010年・大宮浩一監督)、『隣る人』(2012年・刀川和也監督) 、『ドキュメンタリー映画 100万回生きたねこ』(2012年・小谷忠典監督)、『いわきノート』(2014年・制作:筑波大学)など。

【編集】
秦 岳志(はた たけし)

1973年東京都生まれ。ドキュメンタリー映画の編集をはじめ、映画予告篇、舞台映像、各種ビデオパッケージ、TV番組などの演出をおこなってきた。現在は、ドキュメンタリー作品と予告篇の編集を中心に活動。編集した主な映画作品に、佐藤真監督『花子』(01)、『阿賀の記憶』(04)、『エドワード・サイード OUT OF PLACE』(05)、ジャン・ユンカーマン監督『チョムスキー9.11 Power and Terror』(02)、小林茂監督『わたしの季節』(04)、『チョコラ!』(08、兼アソシエイト・プロデューサー)、土井敏邦監督『沈黙を破る』(08)、『届かぬ声』三部作(09)、Andre VItchek監督『Tumaini』(10)、『One Flew Over Dadaab』(12)、畠山容平監督『テレビに挑戦した男・牛山純一』(11)、福間健二監督『わたしたちの夏』(11)等。

【整音】
小川 武(おがわ たけし)

1963年、兵庫県出身。横浜放送映画専門学校(現・日本映画大学)卒業後、久保田幸雄に師事。以降、フィクション、ドキュメンタリーに関わらず多くの作品に参加。主な作品に『フレンチドレッシング』(1998年・斉藤久志監督)、『海は見ていた』(2002年・熊井啓監督)、『天然コケッコー』(2007年・山下敦弘監督)、『ぐるりのこと』(2008年・橋口亮輔監督)、『ユキとニナ』(2010年・諏訪敦彦監督)、『マイ・バック・ページ』(2011年・山下敦弘監督)、『ドキュメンタリー映画 100万回生きたねこ』(2012年・小谷忠典監督)など。

【音楽】
磯端 伸一(いそはた しんいち)

ギタリスト、コンポーザー。1962年大阪府出身。1985年から1991年まで東京にて高柳昌行氏に師事。インプロヴィゼーションを含めジャンルにとらわれないさまざまな音楽を制作、共演者も多岐にわたる。同門下の大友良英氏とは『EXISTENCE』(2013年)、『Duo × solo』(2009年)の二枚のCDをリリース。その他客演多数。2014年、小谷忠典監督『フリーダカーロの遺品』に音楽参加。

オフィシャルサイト サウンドクラウド


 

クレジット

『フリーダ・カーロの遺品 −石内都、織るように』
(2015/日本/89分/HD/16:9/ドルビー5.1ch/日本語、スペイン語、英語、フランス語)

監督・撮影:小谷忠典
出演:石内都
録音:藤野和幸、磯部鉄平/撮影助手・スチール:伊藤華織/制作:眞鍋弥生/メキシコロケコーディネーター:ガブリエル・サンタマリア/編集:秦岳志/整音:小川武/音楽:磯端伸一/アソシエイト・プロデューサー: 光成菜穂/コ・プロデューサー:植山英美/プロデューサー:大澤一生/宣伝:テレザとサニー/宣伝美術:小口翔平(tobufune)/DCP制作:ダイドウシネマパッケージ/助成:文化庁文化芸術振興費補助金/後援:メキシコ合衆国大使館 製作・配給:ノンデライコ / ウェブデザイン:VICENTE

ドキュメンタリー映画『フリーダ・カーロの遺品|Legacy of FRIDA KAHLO』監督・撮影:小谷忠典|メキシコでフリーダ・カーロの遺品に注目した写真家・石内都の姿に迫る